節約と散財の旅

旅・アウトドア好き30代夫婦、セミリタイアを目指す

<休職>看護師を目指すまで。

多くの人とは違う人生を歩んできました。

信念があって貫いたとかいう訳ではなく、

そうせざるを得なかった、という方が正しいのかも。

 

↑ふるさと納税でいただいた紅まどんな。

超絶ジューシーでおいしかったです。

 

 

いじめがあり、中学校で不登校。

15歳でピースボートに乗船し、社会と繋がりが持てたものの、

他人のいじめを目前にして、高校も中退。

人間不信でしばらく4年くらい引きこもり。

 

ひょんなきっかけで合宿免許を取り、

アルバイトで資金を貯め、

カナダのワーホリに参加しました。

 

 

ワーホリから帰って来て、

自分には何が出来るのかな、と考え、

看護師である今の道に進みました。

 

元々人のお世話をすることが好きで興味があったこと。

中学校の卒業文集にもそんなことが書いてあります。

 

私がワーホリに行っていた時が2010年〜2011年。

ちょうど311の東日本大震災が起きた時もカナダにいました。

 

私は語学学校の生徒でしたが、

プレゼンテーションの準備が間に合わず、

たまたま朝早くに起きて準備をしていました。

PCを立ち上げて知る衝撃。

電話で両親に繋がったので安心しましたが、

プレゼンの内容を原発に関することに決めました。

週明けに発表しながら号泣。

 

そんな時に、飛行機で日本に帰ったとしても、

何の技術もない自分に何ができるのか。

こういう時に、いざという時に、

役に立つスキルがあればいいのに。

不甲斐なさを感じて過ごしていました。

 

8月の帰国後、今後どうやって生きていくかを考えたところ、

看護師という選択がありました。

(実際には管理栄養士と迷ったのですが、

管理栄養士は採用人数が少なく就職が難しいと考えました)

 

高校卒業の資格がないので、

まずは通信制の高校に編入して卒業。

同時期に、介護職員として働き始めました。

 

 

はじめはデイサービス。

入浴介助、レクリエーション、送迎、

比較的何でも楽しく働いていました。

 

コミュ障で人前で喋るのが緊張するタイプ

かと思いきや、

いざという時には度胸があるので

20-30人を相手に取り仕切る

レクリエーションも臆することなく、

不思議と楽しくやれていました。

でも、ふと思います。

「オムツ交換すら1人で出来ないで、介護職と言えるだろうか」

 

デイサービスに来る利用者さんは

比較的自分で動ける人が多く、寝たきりの方はわずか。

介護の基礎であるオムツ交換をする方は

1日に1人くらいで、先輩と2人でやっていました。

 

1人でしっかり介護ができるようになりたい。

そんなことを考えるようになり、特別養護老人ホームへ。

通信制高校のスクーリングの都合上、

勤務を調整してもらう必要があったため

日勤のみの非常勤でしたが、

1人で10人の利用者さんを責任持って看ることができ、

オムツ交換も1人でできるようになりました。

 

そして、通信制高校の卒業も決まり、

念願の看護学校の入学試験に受かり、

無事に看護学生に。

 

社会人からの学生ということで、

現役の学生よりも勉強をし、

テストの点数などは比較的高得点を維持。

実習でも大きく躓くこともなく、

自分で言うのも何だけれど、

周りと比べれば割りと優秀な方だったのかな、と思います。

(そういう学生の方がリアリティーショックを起こしやすいとされ、

卒業間際の面談で先生から指摘された通り、まさにそのパターンでした)

 

 

ここまで書くと、夢を追って

やりたいと思った事に対して努力をして

乗り越えて来た感じがします。

もちろん家族のサポートがあってのことです。

 

今まで、運は良い方でした。

行動力(衝動性)だけはあったので、

何かチャンスがあれば飛びつく能力は

比較的長けていた方だと思います。