日々の旅

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<休職>ポンコツ看護師歴②

現在休職中。ポンコツ歴を振り返っています。

最初から読む方はこちら。

 

 

箇所目の病院は公立病院でした。

翌年4月からの採用枠は8月で締め切っていたため、

常勤枠での採用がなく、パートからの条件でスタート。

 

看護師1年目の12月から働き始めましたが、

1箇所目の病院では文字通り何も出来なかったので

3月までの4ヶ月間は介護職と同様の仕事内容をしていました。

 

具体的には、

体拭きの介助、入浴の介助、

レントゲンの介助、検査の移送、

配膳下膳、物品の補充など。

 

介護職であるうちは、

スタッフとのコミュニケーションも比較的円滑に行え、

働けること、仕事があることが嬉しくて、

看護師資格を活かせないことに若干不甲斐なさを感じつつも、

毎日楽しく仕事が出来ていました。

それが、4月になった途端に状況が一変します。

 

 

1年目看護師として再スタートを切った私。

そして、同じく1年目の同期が2人入りました。

新しくプリセプターとなった先輩の方針により、

今まで行えていた、病状が安定している患者さんの輸送、

体拭きの介助、など、

全てにおいて、先輩の「独り立ちOK」が必要になります。

それは至極当然なのですが、

「みんな一緒に指導をする」

「みんな横並びでOKを貰う」

という、「みんな一緒に」という風潮がとても窮屈でした。

 

だって以前は1人でやっていたし。出来ていたし。

そういう素直さが足りなかったな、と今では自覚しています。

 

でも、みんな一緒と言う割に、

同期2人は常勤で17:15までの勤務。

最初の頃は、19時頃まで残って、

同期やプリセプターと一緒に採血や点滴の練習をしていました。

それが、いつの間にか(多分残りすぎて上から指摘があったんでしょう)

時間きっかりに終わらせないといけないルールに。

 

そうは言っても周りを見渡せば先輩方もみんな残業している事実。

でも新人は時間で帰れと。

そうは言っても同期2人は常勤のため、先輩の目も甘く、

多少残って情報収集をした上で、翌朝に受け持ちたい患者を伝えられる。

 

方や自分はパートのために17:00 までに時間厳守で

すべての作業を終わらせて、帰宅しないといけない状況。

新人は慣れない環境で精神的に疲労しやすいし、

帰宅後も新しい疾患や病態、検査について勉強しないといけない。

それなので、早く帰さなくてはいけないのは理解できます。

 

そして、そのうち、朝の情報収集の時間も制限され、

始業の30分前以前に出勤することが禁止されました。

でも、元々60分前に出勤して

頭の30分で情報収集し、先輩が来た頃に

受け持ちしたい患者や理由を伝えたり、打ち合わせをしていました。

残りの30分で、当日の点滴準備などをしていたため、

必然的に情報収集の時間が消滅。

 

同期は前日に残って受け持ちたい患者や情報収集が出来ていたため、

そこで段々と差が広がります。

巻き返したいけど、時間的制限が設けられて

時間厳守なパート勤務の私には無理でした。

 

 

ある日、3人の患者さんを受け持ちしました。

うち1人に発熱があり、嘔吐してしまった状況がありました。

一緒についている先輩と担当していましたが、

17時には業務を終わらせることができませんでした。

 

すると、その日は担当ではなかったプリセプターが言います。

「もう時間だから帰って。記録は先輩にしてもらって。」

 

(え、それは無理。)普通に考えたら無理です。

先輩だって私を見る以外に自分の受け持ち患者が別に居て、

私に付きっきりのため、自分の記録だって出来ていません。

それに、付きっきりとは言っても、

検温は自立していたため、1人で対応した時の、

私しか知らない情報もあります。

 

とにかく早く帰れと一方的に言われ、申し送りもままならない状況。

私の分まで記録して欲しいとプリセプターから言われた先輩は

もちろん戸惑っていました。

でも、プリセプターの教育方針が強く、そうせざるを得ない状況。

先輩に謝り倒し、仕方なく帰宅しました。

 

そうすると、翌日からどうなったかといえば、

「定時で必ず終わるように、業務量を減らされる」

という状況でした。

 

そうなると、また空回りが始まりました。

 

独り立ちOKをもらっていた採血でも失敗をし、

インシデントレポートを書きます。

次にどうしたら失敗しないかを先輩との振り返りもします。

でも、採血も危ないからやらせられない、となります。

 

そして、レントゲンの介助でも失敗。

病室でレントゲンを撮るときは、

不必要な被爆をしないように、基本的に、

歩ける患者さんには病室を出てもらうように声をかけます。

介助が必要な患者さんがいる場合は、

カーテンを締めて遮蔽します。

 

このときも、歩ける患者さんには声掛けをし、

出られない患者さんのカーテンを締め、

自分も退室して、撮り終わるのを待って、

レントゲンを撮り終わった患者さんの服を直します。

 

自分の仕事が終わったので退室をしたところ、

先輩から呼び止められました。

「病室内に子供が居たの気づいてた?」と。

 

そんなこと知る由もありませんでした。

自立している患者さんは、プライバシー確保のために、

カーテンを閉めたまま病室を出るのはよくあることです。

その時も、自立の患者さんのベッドのカーテンは閉まっていました。

 

レントゲンを撮る時は部屋全体に向かって声をかけていて、

介助が必要な患者さんは把握していました。

自立の患者さんのベッドには気配がなかったので、

病室に居ないと思っていました。

 

実は患者さん自身は医師からの病状説明で不在、

でも、後から知ったことですが、カーテンの裏に

小学生くらいのお子さん2人が息を潜めて待っていたそうなんです。

静かにして待っていなさい、と言われていたんでしょう。

人の気配も感じないほどでした。

カーテンは端まできっちり閉まっていました。

 

先輩から大変なことをやってしまったんだよ、と指摘され、

これもインシデントレポートを書き、自分で反省もし、

先輩との振り返りも行いました。

 

そうすると、「次からは気をつけよう」

「そんな失敗をもう2度としないようにしよう」

と思うのが普通だと思うんですが、

そしてそれが目的のレポートだと思うのですが、

プリセプターの見解は違いました。

 

危ないからこれもやらせちゃだめ。

とにかく何でも1人でやらせちゃだめ。

 

そして、私が出来ることはどんどん無くなっていきました。

先輩を手伝おうにも、1人で出来ることがなく、

全てにおいて先輩の見守りが必要な状況。

かえって足手まといになってしまいました。

 

 

教育係の上の先輩に相談もしましたが、

状況を変えられませんでした。

空回りしていること、

私が動くことで、トラブルを起こしていること、

それは私自身がよくわかっていました。

 

プリセプターとの相性も合わなかったように思います。

プリセプター自身も初めて教育する立場になる先輩。

しっかり教育しなければ、という思いが強かったんだと思います。

お互い未熟で、関係もギクシャクしていきました。

 

 

私が働けばトラブルになり、

分かっていても空回りが止められない状況。

打破したくても、無理でした。

病棟で号泣したこともありました。

 

 

空回りが止まらない。

どんどん出来る仕事を減らされていく。

きっとここに居ても、これ以上学べることはない。

きっと万が一落ち着けるようになっても、

一度失った信用は取り戻せないだろう。

そして、2度めの退職を選びました。

 

 

 

↑佐渡のお土産で購入した、おけさ柿。

渋柿なんだけど、アルコールによって渋を抜いていて、

種がなく、さっぱりした味わいで食べやすかったです。

 

 

③はこちら